ID : 2415
公開日 : 2007年 1月 9日
タイトル
アリの前で止まった象
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新聞名
東京新聞
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元URL.
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20070108/mng_____tokuho__000.shtml
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元urltop:
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写真:
 
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脱ダム宣言、不信任と再選、ガラス張りの知事室…。五年八カ月の長野県知事時代、強烈な個性とパフォーマンスで話題を振りまいた作家で新党日本代表、田中康夫。県政から離れた今も、彼の脳裏に焼き付いているのは、長野県内の北アルプスのふもと、安曇野を流れる万水(よろずい)川の堤防から眺めた風景である。
 万水川は黒沢明監督の映画「夢」の舞台ともなった豊かな水量を誇る川で、ロケ地から一キロほど上流の地点に「せせらぎの小路」と刻まれた丸太の標識がある。そこから約一・二キロほど、堤防の上に川を見下ろす遊歩道が続いている。
 道には、木くずと土を交ぜて敷きつめてある。造成から二年半の時がたち木片の多くは原形をとどめていないが、歩いてみると、靴底から木の軟らかな感触が伝わる。
 目を移すと、水辺でダイサギが小魚を狙っている。
 田中自らが思い描く現場の一つとしてこの場所を選んだのは、郷愁を誘う風景もさることながら、この遊歩道をつくる小さな事業が「お上の発想ではなく、地域の意思によって現場の県職員が触発されて実現した」からなのだ。
 使った材料は地元の河川にたまった砂、地元の森を整備する際に出る木くずのみ。地域の建設事務所が材料をかき集め、小型のローラーを提供、工事には住民が主体的に参加した。県の予算は事実上ゼロだが、地域の声は確実に行政に届いた。
■せせらぎの道わたしの原点
 万水川の保護を訴えてきた自然体験施設を営む吉沢真(42)も「惜しいな、中途半端に終わったなと感じる点も少なくないが、初めて(われわれのような)アリんこの声を聞いてくれた」と当時の興奮を忘れてはいない。
 吉沢は当時の思いを一枚のイラストに描き、今でも施設の小屋に大切に飾っている。葉っぱの傘をさしたアリの前で、巨象が立ち止まりアリにやさしい視線を送っている姿だ。
 田中も「この事業は、その後、住民主体のさまざまな事業展開をしていく原点となった」。
 田中の心に残るもうひとつの光景は、木製ガードレールだ。
 観光客から「信州の森の中で、あの白いガードレールは似つかわしくない」と苦情をもらったのがきっかけ。こちらは「循環」がキーワードだ。
 輸入材に押されて行き場を失いかけていた地元スギの間伐材を使い、地元業者が製造するのがミソ。通常のガードレールなら製造業者は東京周辺の数社に限られ、県が投じたお金の大半は東京に流れていく。この流れを、資源もお金も県内で循環するよう何とか変えたかった。
 県土木部が県内の土木業者らに開発を持ちかけたところ十一社が応募。デザインなどで選ばれた五社のうち三社が国の衝突実験に合格し、三タイプが製品化された。
 安曇野市でも、長野自動車道豊科インターを降りた辺りから木製ガードレールが続き、「あ、森林の県に来たんだ」と実感させられる。軽井沢や南木曽など観光地を中心に鉄製からの更新が進んだ。
 「これも決して大きなトレンドにはなってないんだよなあ」。田中はこうボヤきながらも、「県外からの引き合いも多く、小さな芽は育ちつつあるんだよ」と目を細める。
 「コモンズ」。どんな社会が“美しい国”と考えるかを語る際、田中が好んで口にする言葉だ。
 もちろん田中がつくった造語ではなく、「共有の」を意味する「コモン」から派生した言葉。古くはイギリスで牧草地を管理する自治組織を指したという。
 森や川、空気、道路、教育などは特定の人のものではなく、地域の人々が共有しているとの考え方をもとに、田中は「中央が上で地方が下、お上が指示をして住民が動くようなピラミッド構造の社会ではなく、水平的に補い合うのが、優しさ、確かさ、美しさを持った社会だ」と訴える。
 前出の遊歩道と木製ガードレールにしても、住民からの発想、地域の資源を地域で共有しようという点でコモンズにつながっているのは確かだ。
 改正教育基本法に書かれた「公の精神」とはかなり意味合いが違うが、「公」という言葉にもこだわっている。
 「字を見れば分かるが、『私』は穀物を人に渡さないようひじ鉄を食らわせている。『公』はひじ鉄を人が包み込んで意識を公共に転換する姿。今の官にはサービス意識、公の気持ちがない」と、現在の行政には「包む」気持ちが欠けていると批判する。
 住民には優しさを示す半面、県知事時代は県内部に対しては厳しく、いまだに職員からは「あれだけ人員を減らしておきながら、仕事量だけは求めてきた」と憎しみに近い言葉も聞かれる。県議会でも常に「パフォーマンス政治」という批判にさらされた。
 「いろいろ言われていたのは知っている。だけど、職員が反発しないようなものは改革なんて言えない。パフォーマンスと言うと悪く聞こえるが、求めたのは性能、効率といった意味でのパフォーマンス」と反論してみせた。
 ダムという国の補助事業を否定した田中。だが、補助金そのものは必ずしも否定はしていない。「補助金がいけないのではなく、霞が関、永田町などの中央に都合のいいヒモがついている補助金のあり方だ」と強調する。
 「たとえば林野庁の治山事業。予算のうち森林の整備に使われるのはわずか8%。残りはやや乱暴に言うと谷をコンクリートで固める工事に使われる。補助金のあり方が正しければ、今ごろはどこも恵みの山。森林は整備され、雇用もあるはず。ところが、現実にはがれき、コンクリートの山ばかりになった」
 その上で、今後の補助金のあり方についても、やはり山林を例に言及する。
 「ざっと一千万円あれば四十二ヘクタールのスギ林の間伐ができる。同じ金額でより広い面積を整備できれば、翌年度はごほうびとして何かインセンティブ(刺激)の予算をつける。逆にノルマの広さを安くできた所は、違う事業に回すことを認めてあげる。こういう形で成果を求めるように変えていけば、国や地方自治のあり方は目に見えて変わる」
 長野県内には、介護保険制度の発足前から配食サービスや在宅福祉に取り組んでいる泰阜村や「田直し」で知られる栄村などユニークな試みをしている市町村は少なくない。
■ハコ物には躍動しない
 しかし、急速に進む少子高齢化の波、そして中央と地方、地域間格差の拡大。昨年六月には、北海道夕張市が財政破たんした。
 「夕張市は人口も借金も国の一万分の一。いわば日本の縮図。借金で観光施設を次々とつくり破たんしたが、ハコ物をつくる発想でやっているからこうなる。かつての新幹線だって黒部ダムだって、国民は『日本は捨てたものじゃない』と思った。しかし、今や似たものをつくってもだれも躍動感を覚えない」
 田中はこう批判しながら、政府・与党間で大きな議論を呼んだ道路特定財源を引き合いに続ける。
 「この財源だって、安易に一般財源化するんじゃなくて、電柱の地中化にどんと使い、お年寄りから配送業者まで誰の目にも見える変化を起こす。美しい街並みが戻れば、また『捨てたもんじゃない』という気持ちがこの国によみがえってくるはずだ」